こだわりの「塩釜」
「鯛の塩釜焼」物語
■ 古くからの由来は「保存」のためと、「祝い」の席を彩るものとして
塩釜焼きのそもそもの由来は、戦国時代までさかのぼります。豊臣秀吉は朝鮮出兵の際、玄海灘の鯛を大阪の母に届けました。そのときに、うまみを損なわないように、鯛を塩で包んで焼いたのが塩釜焼きの始まりだといわれています。冷蔵庫のない時代、内陸部に届ける際に、保存目的でこのような調理手法がとられていました。
さらに、鯛といえば昔から高級品。祝いの場や宴席などで、このような珍しい塩釜焼きは大変喜ばれていました。
■ 地元では海の漁師たちの祝いの料理
ここ愛媛県愛南町(内海地区)で鯛の養殖が始まったのは昭和40年代でした。それまでは漁に出て天然の鯛が多少獲れている程度だったため、このような塩釜を作るとなるとお祭りや特別の日しか機会がありませんでした。魚をさばくのも焼くのも漁師たち。いわば「男の料理」でした。
養殖が始まってから、鯛は地元の人たちにとっても身近な魚となり、男の料理「塩釜」は、漁師たちの集まりやお酒の席にもよく上るようになりました。ただし、やはり「男の料理」。塩は手でなでつけるため手形がついたり、網で焼く際に塩にひび割れが入ったりなど見た目には少々無骨な感じもありました。
■ 塩釜を繊細な料理として提供
宝水産では、この地元の漁師たちの料理をより繊細に、そして洗練された料理として、「鯛の塩釜焼き」を開発。包み塩に使用する卵白と塩の調合具合、焼き方や焼き時間など試行錯誤を重ね、現在の商品が完成しました。
試作品づくりの段階。塩と卵白の調合具合、鯛へのかぶせ具合など手探りでのスタート!
試作品として炭火で焼いた塩釜は、このように焦げてしまうことも・・・
■ 養殖漁家からの嫌われ者が、鯛の塩釜焼きの風味アップに貢献!
食材の鯛を包み込む「包み塩(塩釜)」に、こだわりとして地元愛南町産ホンダワラ(海藻)から抽出した藻塩を加えています。ホンダワラは真珠の母貝であるアコヤ貝の養殖イカダにびっしりとつくため、養殖漁家にとってはいわばゴミで厄介者。ところが、このホンダワラが国産藻塩の原料となることがわかり、現在は製塩業者にここ愛南町からホンダワラを供給しています。そこで作られた藻塩を、本商品は使っております。
かつては養殖漁家に嫌われていたホンダワラ。[写真左]
今では浜で干す光景があちこちで見られる。[写真右]
干したホンダワラは製塩業者のもとへ。
ここ愛南町のストーリーがたっぷり詰まった「鯛の塩釜焼き」。
皆様のご家庭や、職場、親しい知人同士のお集まりなどに、驚きと喜びを演出する食材として、ぜひご利用ください。